乳がんとの出会い:私の目覚めの旅
- Junko Saragih
- 6月12日
- 読了時間: 6分
更新日:9月18日
〜絶望の中で出会った、魂の光〜

これは、2019年に乳がんと出会った私が、絶望の淵から魂の目覚めへと導かれた、深い内なる旅の記録です。
2020年に英語で投稿した原稿を、今回このブログ用に日本語で再編集しました。(読む時間の目安:約6分)
▶ 目次
1. 乳がんとの出会いと診断
2. 暗闇に差し込んだ光
3. 化学療法と内なる変容
5. 癒しと覚醒のプロセス
6. 新しい視点と未来への希望
7. 感謝をこめて
乳がんとの出会い:私の「目覚めの旅」
2019年6月、左胸にしこりを見つけ、「これは検査が必要だ」と直感でわかりました。最初にマンモグラフィーを受け、数週間後、病院で生検を受けることになりました。結果は一週間ほどかかると言われていましたが、翌日、主治医から電話がありました。彼の声のトーンから、良い知らせではないとすぐに察しました。
そう、それは乳がん――浸潤性乳管がんでした。

「死」という言葉が頭をよぎりました。私のがんは「トリプルネガティブ」と呼ばれるタイプで、他の種類よりも進行が早く、攻撃的でした。そして、これは私にとって二度目のがんだったので、「これで本当に人生が終わるかもしれない」と思いました。
私たちは、この地球上で人間という体験をしているスピリチュアルな存在です。ですから、「死ぬ」とは、本来の故郷へ帰ることだと捉えています。それまで私は、自分の人生に満足していて、「今死んでも悔いはない」と思っていました。
でも、それは大きな間違いでした。
暗闇に差し込んだ光
感情の大波が一気に押し寄せてきました。ショックと悲しみ、そして何が起きるか分からない恐怖に襲われ、 小さい子どものように泣きました。どうしていいか分からず、その数時間は、人生で最も暗く、恐ろしい時間でした。底のない深海に沈んでいくような感覚で、完全に方向感覚を失っていました。
そんな中、同じ日の夜、何かが起きました。泣き腫らした目のまま主人とソファに座っていたとき、突然、内側から安心感と希望の光が差し込んできたのです。

「きっと大丈夫」という感覚がありました。この試練は乗り越えられる、そしてそれほど長くは続かないという「確かな感覚」がありました。
翌日、携帯に表示された「11:11」の数字が目に留まりました。その意味が分からなかったので調べてみると、1111は「新しい始まり」「目覚めのサイン」「具現化の力」を象徴しているとありました。
ああ、これは「目覚め」のプロセスを促すための、宇宙からの贈り物だったんだ。
「今こそ目覚めて、本当の自分を見つける時だよ」と伝えられているように感じました。
化学療法と内なる変容
その後の6ヶ月は、肉体的には人生で最も過酷でありながら、スピリチュアルな面では最も美しい時間でした。
抗がん剤治療は非常につらく、目を背けたくなるような副作用の連続でした。

髪はすぐに抜け始め、舌や爪は黒ずみ、眉毛も薄くなりました。ちょうどハロウィンの季節だったので、新しい見た目はある意味ぴったりだったかもしれません。
でも、一番つらかったのは吐き気でした。治療の数時間後には、嵐のような吐き気に襲われ、処方された薬もほとんど効かず、ただただ、この嵐が過ぎ去るのを耐えるしかありませんでした。それは毎回5日間ほど続きました。
けれど、同時にこの抗がん剤は、私にとって強力な「デトックス」でもありました。まるで嵐の後の青空のように、意識の中に新たな「静けさ」「感謝」「明晰さ」が芽生えてきました。直感やサイキックな感覚も研ぎ澄まされていきました。散歩をしていると、植物や動物のエネルギーフィールドが“見える”ようになったのです。
地球上のすべての命の輝きに、ただただ感動していました。

不妊とうつ、自分を失っていた時間
毎日が、心の奥にある傷――子ども時代の傷、後悔、罪悪感、怒り、そして他者や自分自身へのジャッジ――と向き合うチャンスとなりました。
私は長年、自分のマインドが作り上げた檻の中から世界を見ていて、その結果として、過去に感情とエネルギーを注ぎすぎていました。本当の「今」に気づけずにいたのです。
やがて、私は「なぜ自分ががんになったのか」を理解するようになりました。
私は何年もの間、「原因不明の不妊症」に悩まされており、それが私にとって大きくのしかかってきました。悲しみ、拒絶、絶望、恥、失望といった種が、私の内側に根づいていました。2018年以降、私は未来を見ることができず、深い穴に落ちていきました。そのとき私は自分がうつ状態であることにすら気づかず、その深刻さも分かっていませんでした。心は閉ざされ、感情は麻痺していました。

母になれなかったことは、当時の私にとって計り知れない悲しみでした。だから、私は密かに「人生を終わらせたい」と願うようになっていました。この思考は約2年間続き、毎日のように「死」という言葉が頭をよぎっていました。
私は、内側から自分自身を少しずつ壊していたのです。
癒しと再創造のプロセス
宇宙はその願いに応え、『がん』というかたちで現実化しました。けれど同時に、それは私の目覚めのきっかけにもなりました。抗がん剤治療に入る前に卵子凍結を行うという選択へと、私を後押ししてくれたのです。
その後、たくさんの気づきが、蓮の花のように次々と開いていきました。もはや「がんになった」という診断を、自分にラベル付けすることは意味がないように思えました。それよりも、新たな目で世界を見ることのほうが、はるかに魅力的だったのです。

新しい視点と未来への希望
これは、あくまで「私の視点からの体験談」ですが、病気や人生の困難は、素晴らしい成長のチャンスになり得ます。
ただし、目覚めのプロセスが私のように「頭を打たれるような衝撃」で始まる必要はないと思っています。本当に必要なのは、「変わりたい」という意図だけです。
恐れは幻想です。それは、私たちが未知の領域に足を踏み入れようとしているから、怖く感じるのです。でも、一歩踏み出してみれば、そこには新しい可能性のポータル(入り口)が開かれています。

感謝をこめて
この体験を通じて、私はたくさんのギフトを受け取りました。

私のそばにずっといてくれた夫、見守ってくれた家族、友人、先生方、医師の方々。愛猫オスカー。
そしてこの美しい地球上のすべての生命に、心からの愛と感謝を送ります。
私たちは皆、自分の現実を想像する存在です。
誰もがいつかこの「地球という学校」を卒業します。だからこそ、過去の思考や枠を手放し、毎日をできるだけ喜びと共に生きてみませんか?
この『地球の学校』をどう卒業するかは、自分自身が決めていける。
私はそう信じています。

心を込めて
JUNKO❤️
2020年1月29日



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